今日は1月17日。阪神淡路大震災が発生してから28年となります。

1.17芦屋市祈りと誓い

他市では、大規模な追悼行事が行われるところもあるみたいですが、芦屋では大規模な追悼行事は行われません。行政として唯一行っているのが芦屋公園での「1.17芦屋市祈りと誓い」。7時~17時までの間、自由に訪れて記帳と献花を行うことができるシステムになっています。僕も記帳と献花をいたしました。やったよ!と写真を撮るのは無粋だと思うので写真はなしですが。

芦屋公園には、阪神・淡路大震災慰霊と復興のモニュメントが設置されています。知らない人には分かりづらいものですが、モニュメントの地下に犠牲となられた市民452名の銘板が奉納されています。そのモニュメント前に献花する形になっています。

被災していなくても、忘れてはいけないものがある

僕は、直接被災をしていません。そのときは親の仕事の都合でシドニーにいました。当時(今もですが)家族は阪神間に多数住んでおり、みな被災しました。しかし、幸いにも家族には犠牲者がいませんでした。

だから、震災の悲惨さ、発災後、復興に至るまでの大変さなど、頭では理解しているものの、実感ベースでは分かりません。色々とお話は伺いますが、被災によって受けた心の痛みなどは一生分からないと思います。だってそんなん、わかるわかるって言うと絶対嘘。悲しみなんて、実際に体験しないとわかる訳ない。

震災があったことを知らない人が芦屋の街並みを見たら、大震災で多くの方が亡くなられたなんて誰も分からないと思います。それほどにまで、復興できました。だからこそ、経験していない人が日頃、震災に思いを馳せるというシチュエーションはないと思います。

僕自身、ありません。だって、直接被災していないし、大事な人にも犠牲者がいなかったから。それなのに、いつも震災のときのことを考えていますなんて言う人がいたら絶対に嘘です。

ですが、毎年、この日だけは、過去に大震災があり、多くの方が犠牲になり、未だなお、多くの方の心に大きな傷跡を残しているということを振り返りたいと思います。

芦屋市の現状を考える

芦屋市は、かつてよりも災害に強い街になっています。新耐震基準でつくられた家屋がほとんどになり、以前よりも街全体の耐震性も格段に上がっています。そうした家屋は震度7の地震を受けても倒壊は免れるという強度になっていることから、いま、このタイミングで当時と同じ強さの震災があったとして、かつてほど甚大な被害は出ないと思います。

災害を起こさないようにすることは人知を超えており、不可能ですが災害に強い街をつくることは可能です。建物の刷新も一つの形だろうと思います。ただ、完全ではない。

芦屋市内の建造物の耐震化率

芦屋市では、芦屋市耐震改修促進計画というのを策定して、市内の建築物の耐震化を目指しています。令和3年3月に、同計画の中間検証を行っています。その中では、以下のような状況になっていると報告がありました。

種類R2年度末時点目標(R7年度)
住宅96.7%98%
多数利用建築物91.2%98%
市有建築物100%100%

住宅については、目標通りに推移しているが、多数利用建築物については若干の伸び悩みがあります。目標は100%にはなっていませんが、理想としては100%であるべきだと思います。時間経過とともに、旧耐震基準建物の建て替えが行われ数字が上昇する可能性はありますが、やはり最終的には100%を目指したいところです。

耐震改修促進法関係(芦屋市)

震災関連の市債

東日本大震災においては、復興にかなりの国費が投入されていますが阪神淡路大震災のときには、基本的には地方自治体の市債で賄われてきた背景があります。自力で復興をしてきました。

芦屋における震災関連の市債は年々減少はしてきていますが、令和3年度末時点でまだ94億円残っています。市債全体の18.8%がそれにあたります。まだ完済の出口は見えていない状況です。これを完全に償還し終えるまで、完全なる復興はまだなのかもしれません。

本来であれば、市債は建設債であり、世代を超えて長い年月使用するインフラの整備の費用については、使用するすべての世代で費用を負担する考え方から、起債されています。だから、市債=将来へのツケとも一概には言い切れない背景があります。

しかし、震災の復興のために起債したものは、インフラ整備のためだけのものでもありません。震災がなければ刷新が不要な時期だったものもあると思います。当時は絶対的に必要な財源でしたが、今となってはやはり、後年への負担に直結してしまう市債になります。これをなるべく早く償還することも、今の政治家である僕たちに課せられた宿題だと思います。

そのためにも、歳出の抑制と歳入の増加を図れるような政策展開を考えていく必要があると思います。当時の議員さんたちは、復興のために多大な活躍をされました。僕もしっかりそこは受け継ぎ、次の世代に繋ぎたいと思います。