芦屋市議会議員 大原ゆうき活動報告

芦屋市議会議員、大原ゆうきの活動内容などを記したブログです。 日本維新の会、兵庫維新の会所属です。

今日は芦屋浜・南芦屋浜まちづくり特別委員会でした。…でしたが、委員会の日程が決まる前に外部研修の申し込みを終えていたため、『地方議員のための政策立案と条例制定』というお題の議員研修に参加していました。NOMAという組織の研修で、大阪科学技術センターが会場でした。
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大まかな内容としては、他自治体で制定されている議員提出による条例を例に、書き方や勘所などを解説してもらうというもの。

議員一年目である僕としては、そもそも政策立案をしたことがありません。なので「どういう流れでやれば良いの?」「どういったものを作れば良いの?」というのが全然分かっていません。なのでとても勉強になりました。

条例制定を進める上で何よりも大事なのは議会内でのコンセンサス。自分の会派で過半数を取っていれば楽勝ですが、芦屋市も2人会派なので会派調整は必要不可欠です。では調整をどう取っていくのか…これは日頃のコミュニケーションでしょうね。妥協点を探っていくことも必要でしょうし。その辺のやりとりこそが政治手腕だと思いますので、習得していきたいところ。

また、他の自治体の議員さんの所属自治体における問題点などを紹介する時間も。これはこれで参考になりました。今日来られていた中では、議会基本条例や空き家条例について発言する方が多かった印象。

芦屋市においては、議会基本条例は平成26年に制定済みです。ですが空き家については対応が遅いです。当局の認識では「問題のある空き家」は無いとのことですが、本当にそうかな。どっちにしても、高齢化が進むこれからの社会を考えると空き家の増加は想像に難くありません。条例などによる対応は必要になってくると思います。

まちづくりに関する条例は、それぞれの自治体の特色が色濃く出ています。それもあり、ユニークな条例も多いですね。独自性の強いまちづくりに関する条例は、市民の代表である議員だからこそ提案できるものがあるんだろうなとの印象。例えば静岡市めざせ茶どころ日本一条例なんかは行政の発想では出てこないでしょうから。

今回の研修で他自治体の条例を見ていくことで、芦屋市の条例にどんなものがあるか気になりました。恥ずかしながら、例規集についてあまり目通しができていない状況なんですよね。今回の研修を機に、一度じっくりと読み込んでみようと思います。

今日はJR芦屋駅にて兵庫維新の会代表 清水貴之参議院議員と清水議員の秘書の方と3人で朝のご挨拶を行いました。
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閉会中は少なくとも週に1日は駅に立つようにしています。ただ基本は僕1人での実施。誰かと駅に立つのはホント久しぶりです。今日は生憎の雨模様でしたが、多くの方にビラを受け取っていただきました。

政治活動の定番とも言える朝の駅立ちですが、冬の時期はかなりきついです。今日もそうですが、冬の朝はめちゃくちゃ寒いんですよね。外も真っ暗だし…。
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ビラをお配りする必要があるので、当然素手。そして駅「立ち」ですから、基本立ちっぱなし。あんまりアクティブには動けません。今年は暖冬なので楽ですが、去年の今頃はホントにきつかったなぁ…。

駅立ちは人によってスタイルが違って、人によっては「寒い中頑張ってる様を見せるのが良いんだ」と上着を着ないで頑張る方もおられます。でも見てる方としては「上着を着ずに寒そうにするなら上着を着ろよ」と思いますよね。少なくとも僕は頑張ってるな!とは思いません。別に我慢大会じゃないんだから、上着は着ても良いと思います(笑)

僕はどちらかと言うと挨拶する方にウエートを置き、通行の方の邪魔にならない位置でビラ配りをするスタイルです。道のど真ん中に立ってビラ配りすれば、枚数はかなり捌けます。でも邪魔。口で「市民の為~」と言いながら、市民の生活の邪魔になってたら意味無いやん!という考えです。

閉会中は継続して、駅にてご挨拶させていただきます。もうしばらくお付き合いいただきますよう、よろしくお願いいたします!

今日は精道小学校にて行われた震災21年追悼式に参加。芦屋市内の小学校でも、精道小学校が一番被害を受け、8名の児童の命が失われました。そのため、精道小学校では21年の月日が経った今でも震災の恐ろしさを語り継いでいます。
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21年前、僕は父の仕事の都合でオーストラリアにいました。普段、現地のニュースで日本が取り上げられることはほとんどなかった印象です。ですが阪神淡路大震災だけは、トップニュースで報じられていたことを思い出します。

幸い、家族・友人含め僕の周りに震災による犠牲者はいませんでした。だからなのか、震災によって多大な犠牲があり、多くの悲しみに包まれたことを頭では理解しているつもりでしたが、実感としてはあまりありませんでした。

しかし今日の追悼式にて、僕と同世代だった人たちが震災で命を落とし、残された人の心にも深い傷を残したのだという事実を実感し、涙が溢れました。

僕は彼らのことは知りません。残された人の悲しみも分かりません。だから彼らの分まで生きるとか、彼らに恥じない人生をとか、そういうわかったようなことは言いません。ただ政治家として、悲しみの涙を少しでも減らし、多くの人が笑顔でいられるような、そんな社会を作っていかなければならないと強く感じました。

防災も然ることながら、住民皆さんが住む街を維持し続けていくのも重要。こういった課題に対し、真摯になって取り組んでいきたいと思います。

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